スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

原子力についてチラシの裏のまとめ

前回のエントリーで、原子力についてはまた別の機会にみたいなことを書いたので、原子力についてどう考えたらいいのか、ツイッターを使って考えてみました。
そういう意味では、ツイッターはほんとに「チラシの裏」。

それをひとまとめにするとこんな感じになります。


CO2排出削減の目的は、おおざっぱに言えば「持続可能な地球(世界)」の形成にあると思う。そういう意味で言うと、CO2を排出しなくても「持続可能な地球(世界)」というテーゼに反するようなもの・ことは許されないという帰結になるはず。
10:29 PM Jul 8th webから

そこで原子力。原子力発電によって不可避的に発生する核廃棄物について、現在のところ、埋める以外の処理方法が見つかっていない。六ヶ所村の再処理工場にも行って説明聞いたけど、最終処理方法はまだ決まっていないと言っていた。
10:33 PM Jul 8th webから

将来、核燃料が全量リサイクルできて、核廃棄物が発生しない技術ができるとすれば、核廃棄物の問題はクリアできる(ように思える)。しかし、そのような技術が理論的にでき得るのかどうかはよく分からない。少なくとも、現在の段階で、そのような理論的見通しがたっているとは聞いたことがない。
10:39 PM Jul 8th webから

核廃棄物の問題が、仮にクリアできたとして、次に、メルトダウンというか、テロに遭った場合どうするかというか、そういう危機管理の問題が解決できるかどうかが問題になる。原子力発電所も「モノ」である以上壊れる(はず、この前提が変わってくることがあれば、また違う議論になっちゃう)。
10:43 PM Jul 8th webから

原子力発電所が壊れたときの被害(規模の大きさと回復可能性)を考える。放射能汚染の人的被害は、少なくとも直接ないし間接に被曝した人体には、少なくとも60年以上は残り続けることになる。そして、その被害は世代をこえて現れることもある。
10:49 PM Jul 8th webから

ただ、放射能汚染の地球への影響を考えると、どこまでのことが言えるか。少なくとも、現在の広島・長崎が放射能に汚染されているということはあり得ない。そういう意味では地球は回復しているということになるのか、と思う。原爆と違って、原発の場合は永久に汚染され続けるのだという話も聞かない。
10:53 PM Jul 8th webから

ここで、最初の「持続可能な地球(世界)」というテーゼに戻ると、結局、原子力発電の問題は核廃棄物の問題に帰結するように思える。が、原爆症の裁判をやってきて、放射線被曝の影響で苦しみ続けてきた人たちを見ているから、そう割り切れない自分もいる。
10:57 PM Jul 8th webから

一人の人(ここで想定されているのは、何らかの理由で原発が事故を起こし、放射線による被害を受けた人)の生命や人生を、「持続可能な地球(世界)」というテーゼと比較できるのだろうか。多数の「生」の前で、少数の「生」が犠牲になるのはやむを得ないことなのだろうか。
11:01 PM Jul 8th webから

と、ここからは哲学の世界に入ってしまうので、とりあえず思考停止。この議論も、核廃棄物の問題が解決できるという前提での議論になるので。少なくとも、現段階では、原子力発電は「持続可能な地球(世界)」というテーゼに反するので、発電過程でCO2を排出しなくても許容はできない、という結論。
11:04 PM Jul 8th webから



とまあ、ビール片手に、できるだけ論理破綻しないようにと思いながら“つぶやき”続けたらこんな感じになってしまいました。
前提として、原子力発電所は、発電所の建設過程や、核燃料の採掘や輸送過程でのCO2排出はあるものの、発電過程でCO2は排出しないということがあり、「CO2削減のためには原子力」みたいなことがよく言われるわけです。


なお、最終盤の「多数の「生」の前で、少数の「生」が犠牲になるのはやむを得ないことなのだろうか」というテーゼへの、私の現在の考えを言うと、これはNOです。個の「生」を全うさせられないような社会ではいけないと思っています。そして、ヒトと技術の進歩は、このテーゼを克服できると思っています。
というか、このテーゼを建前にして幾多の戦争が行われ、今もなおテロや内紛が続いている中で、このテーゼを認めることはできない、というのが感情的には近いでしょうか。



スポンサーサイト

エコな生活って何だろう

先日、所属している弁護士会の会派の学習会があった。

ちなみに、中規模以上の弁護士会になると、たいてい会派とか派閥なるものが存在する。
それでもって、学習会などもするけれども、弁護士会の役員人事なんかをエライ人が話し合って決めていく。
でも、最近では、弁護士の増員に伴って無所属とか無派閥とか言う人もずいぶん増えたし、
派閥の話し合いでは役員が決まらず、選挙になることもでてきた。
昨年などは、日弁連会長選挙は再選挙までやったし、京都弁護士会の会長選挙もあった。
私としてはいい傾向だと思ってる。
自分は会派に所属していて言うのも何ですが…
人によっては「あれは派閥ではない」などと言う人もいるけれど、やってることを見ればどう見ても派閥。
「派閥じゃない」とか言ってたら、「弁護士の常識は一般人の非常識」って言われちゃうと思う。


と、話は脱線しましたが、学習会のテーマは「低炭素経済」
COP3で締結された京都議定書以来、二酸化炭素の排出削減が国際的にも求められ、鳩山前首相は25%削減を公約に掲げたりもしていたというテーマです。
講師は、気候ネットワークというNGOの代表をしている浅岡美恵弁護士。
京都弁護士会に所属していて、会派も一緒です。

いろんなデータを示しながらの話でしたが、一番印象に残ったのが、本筋を離れますが、
CO2排出削減のことが議論されると、電事連(電気事業連合会)と電力総連(全国電力関連産業労働組合総連合)がタッグを組んで反対してくるんですよね~、という話。
つまり、全国の電力会社と、全国の電力会社で働く人の組合とが一体になってCO2削減のための政策提言に反対してくるという話。

COP15に対する電力総連の事務局長声明を見ても、何だよ、と言いたくなる。
例えば「電力総連はこれまで、米国や中国等を含めた全ての主要排出国が参加する公平かつ公正で実効性ある国際枠組みづくり、実現可能性や国民の受容性等に十分配慮された削減目標の設定等を求め、国内外に対し我々の考え方を積極的に発信するなど、構成総連・加盟組合一丸となった取組を展開してきた」という下り、
日本だけが率先してやることには反対です、と言っているように読める。

さらに「鳩山総理大臣が「90年比マイナス25%」という削減目標を表明して以降、「地球温暖化対策税」や「再生可能エネルギーの全量買取制度」「キャップ&トレード式の排出量取引制度」など様々な施策の検討が進められようとしているが、地球温暖化対策は、「経済と環境の両立」の原則のもと、すべての施策を横断的に検討し、国民負担を含めた全体像が示された上で、「中期目標」と同様に、広く国民的議論を経て合意形成を図ることが極めて重要である」というのは、
つまり、今出されている施策は、すぐにはやってくれるな、ということかと。

CO2排出の中心は火力発電と製鉄所ですから、CO2削減の中心にもなるわけで、雇用を守るためには地球がどうなろうと火力発電は維持し続けなければならない、というのも分からなくはないのですが、
労働組合としては、企業に対する雇用責任を追及しておけばいいんじゃないですか、と言いたくなる。
むしろ、企業に対して、もう少し前向きで積極的な提案をしたらどうでしょう。

労使一体の企業別組合(=御用組合)なんてなくなってしまえ!というのはさすがに言い過ぎですかね。




さて、話の飛躍が過ぎましたが、表題のエコ生活です。

基本は化石燃料をあまり使わない生活なのかな~というイメージですが、直接的に化石燃料を使わないというだけでなく、電気も使用を抑えなければなりません。
電力が原因となっているCO2排出量は、日本全体の3分の1にのぼります。そのほとんどが火力発電所です。
そうやって、電力消費量を今からずっと低い水準にして、水力だの風力だの太陽光だのといった自然エネルギーで発電を賄うような感じでしょうか。
ちなみに、CO2と電力との関わりということになると、必ず出てくるのが原子力の問題。
私自身は原子力には否定的ですが、その話はまた別の機会に。

次に、運輸。運輸が原因となって排出されているCO2は日本でいうとだいたい2割程度。狭い国内をあれだけトラックが走り回っているのですから、ある意味当たり前。
トラックに頼りすぎない運送体系が必要。貨物列車もCO2は排出しますが、荷物単位あたりの排出量はずいぶん抑えられるのではないかと。
だから、アマゾンでポチッとやって、次の日に届かなくても怒ってはダメ。
生ものとかは基本的に地産地消。

それと、国際航空や国際海運は、COPの枠組みの中には入っていないそうです。なぜかと言うと、どこの国が排出しているCO2になるのか決められない(というか、押し付け合いになって話が先に進まなくなっちゃうんだろうと思う)からだそうです。
でも、特に海運はかなりのCO2を排出しているそうです。
だから、輸入物には頼らない生活をする。
というか、日本で消費するためのものを日本で企画して、生産だけは海外でっていうやり方を見直さないと行けない(そんなことできるんだろうか…)。
そして、やっぱり同じように地産地消。
食料品とか衣類とか、生活物資がちょっと割高になっちゃうかも知れませんね。



考えていくと、そんなの無理って思えてくるけど、大量のモノにかこまれなくても、スピード競争しなくてもいいっていうのは、今の社会のストレスフルな状況を見れば、幸せなことかもしれません。

消費税の還付について考える

鳩山から菅に首相が交代して、菅が消費税の値上げに言及したところ、支持率が一気に10ポイント近く落ちちゃったことから、最近、にわかに、低所得者層に対する消費税の還付などという話が出てきた。


消費税の還付ということだから、払った消費税が帰ってくるということだろう。
これはこれで1つの策ではある。

…が、実際に、消費税の還付が行われる状況を想定すると、とても現実的ではないと思う。




想定その1
各人の所得額に応じて、標準的な消費額を一定のものと定めて、定額を還付するやり方

この方法をとると、後で述べるような“メンドクサイ”手続は一切省略できる。
給与所得者だろうが、自営業者だろうが、一定の所得に満たない人は、その所得額に応じて「支払ったであろう消費税額」の還付(というか実際は給付)を受けられることになる。
しかし、この場合、上で述べたように「給付」というべきであって、「還付」とは言い難い。
しかも、所得の大半を貯蓄に回しているような節約家ほど、払ってもいない「消費税の還付」を受けられることになっちゃって、ちょっとおかしい。




想定その2
所得が一定以下の人は、消費税の還付申告をするやり方

消費税の「還付」というのであるから、本来はこっちになるはず。
そうすると、還付申告する人は、いくら消費税を支払ったかを申告しなければならない。
家計簿をきっちりつけている人なら、払った消費税も計算できるであろうが、そうでない人は、自分がいくら消費税を払っているかなど全く把握していないと思う。
その点で、すでに大きなハードルがあるわけだが、加えて、行った還付申告に対して税務署が調査に来る可能性を想定しなければならないのである。

自営業者なら誰でも知っている、恐るべき税務調査である。

払った消費税の根拠となるべき書類、すなわち、あらゆるレシート、あらゆる領収書を残しておかなければならないのである。

例えば、友人と飲みに行って割り勘になりました。
必ず会計は別々にしてもらわなければなりません。各人の負担額ごとにレシートか領収書を出してもらうことになります。そうでなければ消費税の還付は受けられません。少なくとも税務調査が入れば、認められない支出になってしまいます。
さらに言えば、レシートも、どこかで拾ったものではないか?とか、誰か(消費税還付の対象にならない人)からもらったものではないか?とか言われたら、自分が買ったレシートだと証明する手段は相当限られます。
これは「上様」宛の領収書も一緒です。

…とか、いろいろ考えていたら、消費税の還付なんて、全然現実味はないのではないかと…

もし本当にされちゃったら、きっと税務署はパンクしてしまうでしょうね。
そして、公務員の人件費が増え、民主党の嫌いな官僚の権限は拡大する、と。




おそらく私は、今、菅さんが言っているような消費税の還付対象にはならないだろうけど、もし消費税の還付対象になるとすれば、すべての支払いをクレジットカードでこなすことになると思う。
そうすれば、毎月、利用明細が来るので、いくら消費したのか(=いくら消費税を払ったのか)がすぐわかる。
で、クレジットカードは本人しか使えない(ことになっている)ので、自分が払った消費税、という証明も一応できることになる。
中には、消費税の課税がなされないものもあるけれど、それは極めて限定的だから、それだけは除けばよい。

…しかし、クレジットカードを作れない人たち(その多くは低所得者層)もいるので、この方法では、逆進性は解消しきれないのである。






しかしまあ、菅さんは本気で消費税の還付などということを言っているのかなぁ。
また、選挙が終わったら、鳩山さんの時の普天間よろしく「あれは個人の発言で、公党(民主党)の公約ではありません」とか、言い出しそうな感じです。

だって、全然現実味のない政策だから…

二巡目

今週は、東京出張をはさんでよく働いてます。

おかげで寝不足で、のぞみの中で酒も飲まずにあんなに眠れたのは初めてです。忙しいのは、ひとえに年末年始に何もせずにほうけていたせいですが…


さて、今日は、夕方4時過ぎから6時30分ころまで、2時間半の間、延々電話をかけ続けていました。その数およそ50本。

相手はもちろん(?)ヤミ金です。(ヤミ金については以前のエントリーを参照)

ひところにくらべて楽になったとはいえ、やはりヤミ金50件も相手に話をしていると気が狂いそうになってきます。私の事務所では弁護士ごとにブースが仕切られているのですが、そんな半引きこもり状態でできる仕事ではなく、事務局さんが大勢いる中にまじって電話をかけさせていただきました。

そして、50本かけてもまだ残っています…これは明日に積み残し。残りの約15本は、明日の朝のうちにかけてしまいます。だって彼らは朝に弱いからw


さて、このヤミ金だらけの依頼者も含めて、一度自己破産を経験した相談者が増えてきました。この方、弁護士会の消費者・サラ金法律相談で相談を受けた方ですが、その日の相談2件が2件とも、過去に自己破産の経験をした方でした。タイトルに二巡目と書いたのはそのためです。

ちなみに、もう1人の方については、生活保護の受給を申請中ということで、当面差押えを受けるようなものはありませんでしたので、あと2年程お待ちいただくことになりました。


いわゆる個人の自己破産というのは、免責決定とセットになって初めて意味があります。「免責」というのはその名の通り、支払いを免除することです。この免責決定が得られれば、以後、債務の支払い義務を免れることになります。

ただ、免責決定を得るにあたっては免責不許可事由というのがあって、それをクリアしなければ原則として免責を受けることができません。その中に、過去7年以内に免責決定を受けていないこと、というのがあって、一度自己破産をして免責決定を受けると、その後7年間は免責を受けられないことになるのです。


そして、その制限をねらって貸付をする業者がいるわけです…


ですから、二巡目の方が相談に来られると本当に困ってしまうことが多いです。任意での債務整理をしているときでも、最後は破産という選択肢が残っているかどうかで、やっている方からすればだいぶ違うのです。

別に正確な統計があるわけではなく、私の感覚ですが、私が弁護士になった2002年から2003年頃に自己破産のひとつのピークがありました。あと数年後、この方たちが「二巡目」としてやってくるのではないかと、最近真剣に思っています。そして、ちょっとびくびくしています。


その背景にあるのは、所得格差の拡大、二極分化、そして格差の固定化です。

自己破産をすると、それまでの借金がすべてチャラになる(財産もチャラになってしまいますが)わけで、経済的な更生をはかるにはこれほどの条件はないわけです。しかし、それでも下層からあがっていくことのできない社会になっています。雇用の問題や福祉の問題、住居の問題など、その要因はさまざまあるかと思いますが、要は、貧乏人は貧乏なまま、という社会になってしまっています。

そして、そういった下層にいる人たちは、ヤミ金も含めて、そういった下層の人々を食い物にして生きている輩の餌食になって、ますます困難を極めていく、というデフレスパイラルならぬ貧乏スパイラルに巻き込まれてしまっています。

その人の努力が足りないせい、という意見もあり、そういう意見ももっともだと思える部分もあるのですが、努力だけではどうにもならない、というのが、そういう方々と日々接していて感じる印象です。

自由競争社会とか、誰にでも機会は平等に与えられてるとか、はっきり言ってぜんぶウソ … ウソといったら言いすぎですが、現実から大きくかけ離れてしまっていることは確かです。

少なくとも、スタートラインは全然違います。

与えられる「機会」は雲泥の差です。

しかも、リセットはききません。

今年の年初に、年齢が若くなるほど自分の将来に希望を持てていない、という統計結果が出たというような新聞記事を読みましたが、それも納得です。


ヤミ金と話をしながら、この国の将来を憂いてみました。

憲法は、何のために、誰のためにあるのか

日弁連人権擁護大会が11月10日~11日にかけて鳥取市で行われました。

私は、シンポジウム第1分科会の実行委員として、
この1年間ほど、この人権大会と関わってきました。
シンポジウム第1分科会は、現在行われている改憲論議を正面から取り上げるものとなりました。
そのテーマが「憲法は、何のために、誰のためにあるのか」でした。

これは、これまで、自民党や民主党から出されてきた改憲構想が、
「憲法は国家権力を制限するもの」という、
近代立憲主義の到達点を後退させるものとなっていたことに対して、
人権擁護と社会正義の実現を使命とする弁護士、日弁連が警鐘を鳴らそうというものでした。
例えば、自民党論点整理が「国民の利益ひいては国益を守り、増進させるために公私の役割分担を定め、国家と国民とが協力し合いながら共生社会を作ることを定めたルール」と述べてみたり、
民主党中間提言が「国民と国家の強い規範として、国民一人ひとりがどのような価値を基本に行動を取るべきなのかを示すものであることが望ましい」などと述べていたところです。
これらは、明らかに憲法の規範の対象を国家のみならず、国民にまで拡げていくものでした。
このことに対して、日弁連は反対の立場で意見表明をすることになりました。

そして、シンポジウムに引き続き行われた大会では、
「立憲主義の堅持と日本国憲法の基本原理の尊重を求める宣言」が採択されました。
しかし、これはかなり紛糾することになりました。
議論になった点を簡単に言うと、宣言の中で、
「日本国憲法の理念および基本原理に関して確認された」こととして、「憲法は、戦争が最大の人権侵害であることに照らし、恒久平和主義に立脚すべきこと」と述べつつ、
また「日本国憲法第9条の戦争を放棄し、戦力を保持しないというより徹底した恒久平和主義は、平和への指針として世界に誇りうる先駆的意義を有するものである」と述べ、
9条2項について先駆的意義の確認にとどまり、その改正について明確に反対する態度を示さなかった点にあります。
これに対して、9条2項の改正に反対する立場の方々から強い反対意見が出されたのです。

私自身は憲法9条2項を変えることは反対であると考えています。
ですから、もっと踏み込んだ宣言をしたいという気持ちもありますし、
この宣言では不足があるとも感じています。
そして、日弁連の正副会長会で修正の意見が出され、歯がゆい思いをしたことも事実です。
しかし、私はこの間の議論に参加し、忸怩たる思いで修正を行ってきた経過をつぶさに見てきて、
この宣言に賛成しました。

私がこの間の議論の中で痛切に感じたのは、
日弁連の会内合意とはなんぞやという問題でした。
日弁連は強制加入団体であり、日本国内で弁護士であろうと思えば、
必ず日弁連とその地域の弁護士会に加入しなければなりません。
ですから、その意見は多様です。
現に、自民党・民主党・公明党・共産党・社民党といった主要な政党すべてにおいて日弁連の会員の国会議員が存在します。
そのような中で、日弁連が、言ってみれば「乱暴な」ことはすべきでない、
できない、ということでした。
確かに、シンポジウム第1分科会の実行委員の顔ぶれを見れば、
その多くが9条2項の改正には反対していると思われます。
人権擁護大会の場でも、
おそらく9条2項改正に反対する内容の宣言で過半数を取ることはできたでしょう。
しかし、人権擁護大会に参加していた会員は600名程度、
これで2万人いる日弁連会員の総意を代表しているといえるのか、
そこは慎重にならざるを得ないでしょう。
今、高い会費と半ば義務的な会務活動に対して懐疑的、批判的な会員は決して少なくないと思います。
そして、そのような会員は、日弁連が「政治的」な行動を取ることに対して総じて批判的です。
今後、弁護士の大量増員時代を迎え、日弁連が「乱暴な」行動を取ってしまったときに、
弁護士自治を支えるところの強制加入性が揺らぎかねない、
とも考えうるのではないかと思っています。

また、このような宣言であれば出す必要はない、との意見も出されました。
しかし、それでは、今の改憲論議、あまりに多くの問題を抱えた改憲論議に対して、
日弁連が沈黙してしまうことになります。
しかし、それは許されないと考えます。
今の改憲論議の最大の争点が9条2項であることは間違いありません。
しかし、改憲論議の問題点は9条2項のみにとどまるものでないこともまた事実です。
ですから、日弁連が、その一致できるところで、
改憲論議に対して発言することが大切だと考えるからです。
今、この時期にしなければ、それではいつするのか、ということです。

今年の人権擁護大会で、憲法問題に対する宣言をあげることができたことは、
大きな意味を持っていると思いますし、
日本国憲法9条、1項も2項も含めて、その先駆的意義を確認することができたことにも大きな意味があると思っています。

 | HOME |  »

Appendix

tocchi1976

tocchi1976

某所(旧ブログを見ればすぐに分かります。このブログでもいずれすぐにわかります。)で弁護士をしています。このブログを開設した時点で7年目です。



Calendar

« | 2017-09 | »
S M T W T F S
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

Categories

Recent Entries

Recent Comments

Monthly


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。